雨が一日降り続くなか、大型バスに満員の参加者。日本共産党県会議員団から大山奈々子議員、加藤なを子議員、木佐木ただまさ議員、横浜市会議員団から、あらき由美子議員、古谷やすひこ議員、かわじ民夫議員、北谷まり議員も参加。さらに、夏の参院選神奈川選挙区でお世話になるあさか由香さんも参加。
横浜から横須賀軍港へ。チャーター船で基地の近くまで行き、停まっている原子力空母ロナルドレーガンや潜水艦などを見ながら説明を聞きました。横須賀に向かっている最中に、ロナルドレーガンからは、メンテナンスのために出た核燃料を拭いた布や作業服、手袋などを捨てるためのコンテナを運び出す作業が行われていたそうです。周りには銃を構えた軍隊の護衛船が居たそうです。日本の海でこんなことが行われているなんて、驚きです。説明をしてくださった鈴木さんは「1964年に結んだエイドメモアール条約には、空母の中で出た核のゴミは、空母内から出してはいけないことになっているにも関わらず、日本の民間の船をチャーターして、空母から外に出しているのは、この条約に反している行為。」と、おっしゃってました。この海は、いったいどこの国の海なのか?横須賀を母校にしている米艦船は、現在13機。ミサイルなどを搭載しているのが見えて恐ろしい。対岸には、自衛隊の弾薬庫と給油をするための機材が並ぶ。ここが火事にでもなったら、どうなってしまうかは、想像したくない。ずらっと並ぶグレーの艦船は、不気味でした。
横須賀の基地の外に造られた、米軍の兵士とその家族のための住宅を車窓から眺めました。
横須賀の小高い丘の上に在る「平和の母子像」へ。恥ずかしながら、この像を初めて見ました。1977年9月27日に横浜市緑区荏田町に米軍機が墜落した。その時に犠牲になった林和枝さんと3才の裕一郎君、1才の康弘ちゃんが、米軍基地を見張るように建てられた像です。私は、小学校の時に学校で「パパ・ママバイバイ」を観た時のことが忘れられない。民青同盟に入り、実際に米軍機が墜落した現場を見に行ったことがありますが、その時もショックを受けた。平和に暮らしていた親子の上に火だるまの戦闘機が落ちてくるなんて・・・。しかも自衛隊が助けたのは、無傷の米兵二人。この二人の米兵は何のお咎めも無しにアメリカに帰国してしまった。こんな理不尽なことが「安保条約」の名で許されてしまうなんておかしい。
食事休憩を済ませ、池子の森へ行く予定でしたが、時間がなく予定変更して。米海軍厚木飛行場をゆとりの森から視察。この基地の中に飛んできたビニール袋などは、自衛隊が拾い集めて、滑走路の補修も自衛隊がやっているんだとか。優しいですね。説明を聞いている間、自衛隊のプロペラ機が私たちの真上を!!これが落ちたら・・・。プロペラ機は戦闘機に比べて騒音は静かな方ですが、戦闘機の騒音は米兵の家族ですら「うるさい!」と、言って近隣に住むことをやめて引っ越すほどだそうです。「いやいや!あなたの夫さん乗ってますけど?」と、言いたくなります。
車中、自己紹介をしながら、キャンプ座間へ。座間公園から視察。フェンス越しに見る基地内は、何だか異国でした。
視察の間、何度も出てくる「思いやり予算」という言葉。米軍機が夜間飛行の妨げになると、ヘッドライトの光をさえぎるために造った大和トンネルもお風呂が3つ、エアコン全室完備の広い住宅も、何もかも米軍の居やすい環境をつくってあげるための予算のことだと、再認識しました。この優しい思いやりを、被災した方々に向けて欲しい。