朝、レンジとお散歩に行くと、時々お会いしてごあいさつする男性が、いつものように坂道をトコトコと下りてきた。「おはようございます」と言い合い、いつものようにすれ違うはずが、男性は足を止め「優しい顔をしてますね」とじっとレンジを見ておっしゃった(*‘∀‘)「そうですか?」と言うと、「はい良い顔してます」と(;^_^A レンジは、自分が褒められていると分かるのか、吠えることもなく自分から近寄って行き、その方の足元をクンクン(⌒∇⌒)「お気を付けて」と見送り、その方は何回か振り向いて、笑顔で坂を下って行った。
ギラギラ照り付ける太陽で、レンジは帰宅するころには、ハアハアと舌を出して一生懸命に体温調整していた(;^_^A
第31回「神奈川健康友の会」の総会で、ごあいさつさせていただき、会員のみなさんから元気をいただく(;^_^A
京急に乗って、横浜へ。
数日前に予定が変わって、手帳には書いたのに、頭の中の予定が混乱して次の予定が横浜での学習会だったのに、数日前までの予定の場所である桜木町に行ってしまった(>_<)電車を横浜で乗り換え、桜木町駅止まりが来てホイと乗って、降りる頃に「あっ!!間違えた(>_<)」と(@_@)「少し早いお昼にして、横浜に戻ろう」と改札を出て、ファミリーレストランへ。「あれ?何か雰囲気が違う?」何と違うお店になっていた( ゚Д゚)ショック(;´Д`)
桜木町駅に戻り、またホームへ・・・(;_;)横浜に戻り、少し早いお昼ご飯。
「道徳の教科書ができて子どもはどうなる?」という教科書採択連絡会という、教科書を考えるそれぞれの区で活動されてる方々が集まっての学習会にお邪魔しました。
元東京都立中学校教員の小林 弘子さんの「戦前の道徳(教育勅語・修身)で教えられて」というタイトルで、お話を聞かせていただきました。
1933年横浜生まれ。この年、日本は国際連盟を脱退、ドイツでは、ヒットラーが首相就任。
1939年に横浜市立青木尋常小学校へ入学。この頃は、ドイツがポーランドに侵攻し第二次世界大戦勃発。
こうした年表とともに、この頃の教育は、国語も音楽も算数もすべてが、「天皇のためにいざという時は、命を捨てなさい」という教えだったそうです。
尋常小学校修身書 巻一 児童用 には 「キグチコヘイ ハ、 イサマシク イクサ ニ デマシタ。 テキノ タマ 二 アタリマシタ ガ、 シンデ モ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセン デシタ。」ということが、教えられたそうです。
小林さんは「ねぇ!何で口から離さなかったのかしら?」とお友達に聞くと「死後硬直してたんだよ」と言われたそうですが、先生には言えなかったとか・・・(;^_^A
そのうち、担任の先生までも招集され、クラスがまた変わる。1944年に国の方針で疎開が命じられる。
大変(>_<)睡魔が(>_<)この続きは、また別の日にします(;^_^A
今日の写真は、散歩に行って会った、テントウムシ(*´▽`*)