宇佐美 さやか

うさみ 清香
日本共産党横浜市会議員
うさみ日記

実家が在った港北区下田町へ・・・

2015年8月10日

desert「在った」と、過去形になっているのは、今は引っ越していて日吉本町に実家が移ったから。

何をしに行ったかというと。母たちが主催した『戦時の体験を聞き平和を語る集い』に、お邪魔するためです。久しぶりに日吉駅からバスに乗って、あまりに変わりすぎて戸惑い降りるバス停を間違えてしまいました。と、いっても大した距離ではないので歩いて会場まで。すでに始まっていて、ドキュメンタリー映画が上映されていてみなさんじっと真剣に観ていました。、日本軍が中国や韓国、フィリピンなどでおこなった蛮行を実際に軍人として戦地に行った方々の証言や、日本軍からの暴行で手足を潰された中国人の証言など、目を覆いたくなる映像でした。怖かったのは、元軍人の方の「教科書で日本は強い国、神が居る国だからと教え込まれた。」と、言っていたこと。また同じことを繰り返す動きが!7月5日の教科書採択で、またもや70年前の侵略戦争を美化・肯定する「育鵬社」の教科書が選ばれた。この動きは、戦争する国づくりと一体です。国際都市横浜と言いながら、歴史に背く教科書を横浜の中学生に使わせるのは、間違えていると思う。教科書は、真実を教えなければ意味が無い気がするのは、私だけでしょうか?

flower上映後、手作りのおにぎりをいただき交流。みんなで歌おうでは『青い空は』と『長崎の鐘』を、歌いました。『青い空は』を、歌うといつも涙が出てしまう・・・。

歌の後は、三人の方の戦争体験を聞かせて頂きました。残念ながら、お一方のお話がマイクの扱いに慣れておらずに聞こえ辛くて残念。次の方は、宮崎での戦争体験を話された岡部さん。「戦時中の音楽の授業で歌う歌は軍歌ばかり、ラジオから流れる情報は「日本が勝ってる!」と、いうものばかりだった。疎開した次の日に、いつも一緒に通学していた友達の上に爆弾が落とされた事を後で知って恐ろしく思った。生き残ったからこそ、戦争反対の活動を続けます!先日、テレビで「戦時中は、罪無き人が殺された。」と言っていたけど、あの時戦争を止められたなかった人に、本当に罪が無かったのでしょうか?」と、その言葉にドキッとさせられました。安保法制絶対に止めなければ!

もう一方は、90歳の西富さん。「原爆が投下された日、仕事を始めようとした瞬間に物凄い風が吹いて、机の上に置いた物が飛んでいき、見上げると屋根がなくなり梁だけに。外を見ると真っ赤な大きな塊が見えました。後にも先にもあんなに綺麗な物を見たことありません、が、本能的にこれは嫌な物、恐いものだと思い逃げました。今の広島には全然思い出は有りません、昔の広島しか私の記憶にはなんです。」と、話された。

戦時中の事を語れる方も少なくなっていく中で、直接聞く事ができたのは貴重な体験です。私は、今日聞かせていただいた体験談を忘れずに語り継いでいかなければ!

flowersもう一方は、戦争体験を絵本にした方の読み聞かせもありました。


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